路面電車と原爆

 

 

“チンチン”

軽やかな音とともに、チンチン電車。

 

福島を走ってたのは・・

小学校に上がる前までかな。


電車に乗って覚えている事といえば、

なぜか厚い木の床が濡れていた事。

(雨、雪の日だったから?)

そして電車の中がギュウギュウだった事。

 

あの頃、福島駅前も歩きにくいぐらい

人々で溢れていたなあ。

 


 

 

そんな記憶も手伝って・・

 

数年前から、年に一枚ぐらいは

路面電車(チンチン電車)を描いている。

 

荒川都電か岡山電気軌道の取材から

制作しているのだが、

全国には20箇所ぐらいあるから、

まだまだ僕の制作の中で未開拓。

 

先週、広島の路面電車の番組を見る。

30分番組で72時間密着したドキュメントだ。



 

 

広電と呼ばれ、いまだ市民生活に密着している。

かなりの人々の人生に深く関わっていた。

 

その中で、原爆が落とされて、

街はめちゃめちゃなのに、

三日後には復旧させたという

エピソードもあった。

 

後で資料で確認したら、復旧は

並大抵ではない苦心だったらしい。

広電は、大きく傷ついた広島県民の心に

ささやかだけど、深い勇気と希望を

与え続けたらしい。


広電は・・

素晴らしいチンチン電車だった。