2015年
9月
06日
日
(黄金がキラキラしてんなあ)
秋風に揺れた稲穂が
こうべを垂れて、
やがて収穫される。そうなれば田んぼを
横切って帰る事ができるんだ。
途中、ゴムボールで野球をしながら、
トノサマバッタを追いながら。そして
日に日に風が出てくる。
(ずいぶん、風強いなあ。明日、吾妻山から
雪吹っ飛んでくるんでねえべか!)
〜帰り道シリーズの挨拶文より抜粋~
2015年
9月
02日
水
(ウ〜、風が強くって、前に進めね〜べ)
真冬の学校からの帰り道、そんな目に何度か。
福島盆地には“吾妻おろし”と呼ばれる奥羽山
脈からの冷たい西風が吹く。
毎日ではないまでも、自転車通学だった
中学、高校時代は何度も苦しめられた。
だから、やっぱり春は桃源郷だった。
〜齋正機個展 帰り道シリーズの挨拶文より~
九月中旬から
大作から小作品まで約30点の展示です。
お時間ございましたらご高覧下さいますよう
よろしくお願い致します。
詳細は、HPニュースをご覧下さい。
2015年
8月
30日
日
「ね〜ね〜、すっごいよ〜。見ちゃったの〜。」
横浜から帰ってきた娘が嬉しそうに
ピョンピョン跳ねながら言っている。
どうやらドクターイエローを見たらしい。
ドクターイエローとは点検するための
黄色ボディーの新幹線。
月に数回しか走らないため、出会うのは
非常に珍しい。
7両編成の車両には、お客さんは乗せず
検査技師7名のみが乗車する。
事故が起きないようにする“新幹線のお医者さん”だ。
「すごい綺麗だった。」と、一通り話した後も
まだ興奮している。
ドクターイエローは、子供にとってラッキーアイテムだ。
こんだけ新幹線に乗っている僕は見た事が無い。
(いいよなあ・・・)
2015年
8月
26日
水
「今年は、小ぶりだけど甘い。」
「雨が多くて少し水分が多い。」
いろいろと言われているけれど、
本当に甘くって
“はずれ”なんて全くない。
一本の木の中でも
南側と北側で育つ環境が違うはずなのに・・
もれなく美味しい
昔って、こ〜んなに甘かったっけ?
2015年
8月
23日
日
セミが鳴かずに
それでも気温だけは夏のまんま。
そして、どことなく秋の匂い
こんな日が続くから、
十歳頃の他愛のない記憶が蘇った。
「あんまり前に出んなあ。線路に落ちちまう。」
母親の響く声。見下ろすと
赤茶色の砂利やかなり古い枕木に
レールだけがさりげなく光っている。
(あっちのホームだったら、街行き・・いいなあ)
同じ年ぐらいの子が向こう側に行こうとしている。
(あの子、これから街で何するんだろう)
空を見上げるとトンボが優雅に飛んでいた。
雲は細長くて薄い青空に溶け込みそう。
「もうすぐ電車来っから、こっち来な。」
時計をみたら、ちょうど三時、あと五分だ。
母の隣に戻るとコオロギが遠慮なく鳴いている。
2015年
8月
16日
日
(いつもよりは、余裕があるな)
夜中の猫が
人の気配のない道路で佇んでいる。
さすがに、お盆過ぎると、
夜の暑さは一段落。
いつもは
約15分の帰り道に、夜猫を
二、三匹程度見かけるんだけど・・
今日は舗装道路が冷たくって
気持ち良いんだろうね。
なんと、9匹発見。
2015年
8月
12日
水
「 “ほおずき” って・・鬼って書くんだね。」
と娘が理由を期待しながら、びっくりしている。
ほうずきは “鬼” に “灯” と書く。
(ほおずきに漢字があったんだ)なんて
僕も思ってるぐらいだから、分かるはずも無い。
「う〜ん、見た目が “鬼の提灯” みたいだからだよ。」
とその場しのぎで答えてみた。
調べてみると、思いのほか・・そんな理由。
(ふ〜ん)と思いながらも、
その理由が返って腑に落ちない。
お盆が始まった。
ここは名古屋の街中だから
ひっそりとしている。
みんな実家に帰り始めているのだろう。
今日、お盆を味わえない娘に
線香花火を買ってみる。
今週末にやるつもりで・・
せっかくだから
少し、多めにね。
2015年
8月
09日
日
(あ・・クマゼミだ)
時々、名古屋では道路にクマゼミが落ちている。
一夏に数回ぐらいだけれど。
普通より少し大きくて
羽根が透明、グリーンのライン。
大人になった今も、
見つけるとテンションがあがる。
裏返してオレンジ色の共鳴体があればオス・・
確認のため思わず拾ってしまう。
しばらくジーっと観て、
再び “素晴らしい美しさ” に感動。
ティッシュで丁寧に包んで
ポケットの中へ仕舞い込む。
家に帰って,
着替えながら少し調べる。
昔は、九州の一部にしかいなかったクマゼミも
温暖化でどんどん北へ。
何と・・北限は福島市になっている。
(もう、福島はアブラゼミばっかじゃないんだ !)
そんな事を、ぼっ〜と考えていたら、
洗濯機のほうからキャーという妻の声が・・
(あ・・ヤバイ)
2015年
8月
05日
水
「8月14日同窓会やるんだげど・・福島に帰ってるがい?」
携帯電話の向こうで、中学校のクラスメイトが
柔らかい声で話している。
三十五年ぶりだ。
懐かしさが襲ってきて、嬉しくて
たくさん話したかったが、何から話していいことやら・・
案外、言葉が出ない。
「名古屋だがら・・無理がな と思っては いるんだげど・・」
と、遠慮がちに言ってくれた。
「いやっ・・俺、福島・・帰る時あっから、
行げるかも・・しんねげど・・」
と、考えながら できるだけ前向きに答えた。
結局、制作が遅れていて帰省できず、
“同窓会に行くことは叶わないこと”を後日連絡する。
でも、会いたかったなあ・・
2015年
8月
02日
日
“チンチン”
軽やかな音とともに、チンチン電車。
福島を走ってたのは・・
小学校に上がる前までかな。
電車に乗って覚えている事といえば、
なぜか厚い木の床が濡れていた事。
(雨、雪の日だったから?)
そして電車の中がギュウギュウだった事。
あの頃、福島駅前も歩きにくいぐらい
人々で溢れていたなあ。
そんな記憶も手伝って・・
数年前から、年に一枚ぐらいは
路面電車(チンチン電車)を描いている。
荒川都電か岡山電気軌道の取材から
制作しているのだが、
全国には20箇所ぐらいあるから、
まだまだ僕の制作の中で未開拓。
先週、広島の路面電車の番組を見る。
30分番組で72時間密着したドキュメントだ。
広電と呼ばれ、いまだ市民生活に密着している。
かなりの人々の人生に深く関わっていた。
その中で、原爆が落とされて、
街はめちゃめちゃなのに、
三日後には復旧させたという
エピソードもあった。
後で資料で確認したら、復旧は
並大抵ではない苦心だったらしい。
広電は、大きく傷ついた広島県民の心に
ささやかだけど、深い勇気と希望を
与え続けたらしい。
広電は・・
素晴らしいチンチン電車だった。
2015年
7月
29日
水
水彩とかクレヨンだと、
この紫は 比較的描き易いんだけど
日本画の岩絵の具は、種類が少ないし
ぴったりの色がない。
岩群青を “花の紫” に
見立てて表すことが多い。
でも速水御舟は、岩群青を使わずに
黒で桔梗の花を描いた。
いや〜
その色の見立て・・素晴らしいのだ。
想像力で “紫に見えてくる” ばかりか
花のみずみずしさも感じる。
御舟は・・さすがだね!
でも、天才は夭折。
40才 だもんね。
2015年
7月
26日
日
一週間たった・・・
気合を入れて夏休みに入った娘が
少しだけ疲れている。
ラジオ体操、絵、遊び、水泳、お祭り、バスケ、虫取り
やりたい事が多すぎて・・・
実行した結果。
さっすがに・・日曜日は、早起きできず。
そりゃ、そ〜だ。
月曜日からは、僕も一緒に
仕切り直し。
2015年
7月
22日
水
(こんなことを伝えたいいんだ ! )
(こんなことを感じて欲しいんだ ! )
とかが鼻息荒く思っていると・・
作品からは、なかなか伝わらないもんだ。
(すべては鑑賞者におまかせです ! )
(何を感じてもらっても結構です ! )
とか割り切ってしまうと・・・
その作品からは、ほとんど感じないもんだ。
難しいよね。
絵は力んでも、力を抜いても
伝わらない。
観る人と“感覚を共有する心” が
花開くのは、感情でも理屈でもない。
もっと
根っこの部分・・・だね。
※今日から展覧会始まります。
よろしければ、ご高覧お願い申し上げます。
風待の会
平成27年7月22日(水)~27日(月)
10:00~19:30 ※最終日は16時閉廊
〜岩田壮平 奥村美佳 齋正機 瀧下和之 松岡歩〜
*齋が5人の作品のギャラリートークをします。
お時間ございましたら、お立ち寄り下さい。
〜7月25日(土)14:00~15:00 〜
2015年
7月
19日
日
山小屋のいろいろな仕事をやりながら、
たまに、喫茶コーナーをたのまれた。
尾瀬の登山者にコーヒー、軽食を出す仕事だ。
一人で任されるのは、たいへんだったけれど
登山者にコーヒーを出せば
少しの間、窓からあの風景をみていられる。
その尾瀬ヶ原湿原に
白樺の木が並んでいる。
お気に入りの風景なのだ。
僕の大学二年の夏休みは
すべて、尾瀬の山小屋アルバイトだった。
“スケッチしながらのんびり”なんて
思いながら、軽く引き受けたのだったが・・
電気の来ていない、それでいて、
宿泊定員250名もの食事を出す山小屋。
それを10名に満たないスタッフで 取り仕切るのだから
まあ、経験したことがない忙しさ。
特に臨時バイトは僕一人だったから、
要領の悪さも手伝って疲労困憊だった。
どのぐらいの疲れかというと
疲労と睡眠不足で布団をたたみながら、
いつの間にか気を失うぐらい・・笑
それでも、人間慣れるもんで
半月後には、楽しみを見つける。
あの窓から見た尾瀬ヶ原の風景。
多分、一生忘れないだろう。
2015年
7月
15日
水
“今日、館林市では 39度3分、
伊達市梁川で39度1分、
福島では39度 を記録しました”
午後三時のラジオが伝えている。
(福島39度、こんな事あったっけ ! )
名古屋のアトリエで ぼ〜と考える。
ここ10年の爆発的な高温は何て表現していいのやら。
夜、福島の母から電話があった。
なぜか、気温の高さに少し自慢げ。
(まあ、元気ってことか)
ちょっとだけ聞いてあげた。
2015年
7月
12日
日
最近、締め切りに追われているから
どうしても帰りは深夜なってしまう。
電気が消えている家が多い中、
窓から漏れている光が柔らかい。
(灯りの色がいい感じ)と思って
歩いていると・・
駐車場前でピカッと青白い警告灯。
(やな感じ・・だな)
ここ10年でかなり多くなった。
センサーが強いせいか、
歩道を歩いていても
防犯ライトに頻繁に照らされてしまう。
トボトボ歩くと、
夜のむくげがかすかに揺れている。
本格的な夏も目の前だ。
2015年
7月
08日
水
“ 親の後ろ姿で子供は育つ ”
何て言われているけれど・・・
現実には、そう、うまくいかないもんだ。
やっぱり
寄り添って、つかず、離れすぎず・・
バランスなんて取れるもんじゃないけれど、
たま〜に
“子供との光る出来事”が
少しあったりすると・・
すべてが報われた気分。
まだまだ背中じゃ語れない。
2015年
7月
05日
日
先々月、福島市生まれの詩人
長田 弘(おさだ ひろし)さんが亡くなった。
世代は違うが、生まれ育った場所は一緒の先輩である。
遊んだ場所もどうやら同じみたいだ。
その長田 弘さんが
“子どもは、なにより風景の子として育つ。
(中略)
生まれ育った自分の中に深く根を下ろすのは
丘や川を尺度とする風景の遠近法だ”
という言葉を残している。
遠近法?と言われると・・
わかりずらい人もいるかもしれないけれど、
僕の育った福島盆地の真ん中では
田んぼが広く、空が大きく、山に囲まれていたので
近くから遠くまで、川や道 や丘の “形や流れ ” が容易に見えた。
その大きさ、スケールが 身体の記憶 として残っている。
名古屋に住んでいる今でも
確かに、 “子どもの頃感じた遠近感” で
いろんな風景を見ている気がする。
長田さんの言うように・・
深く深く 染み付いているみたいだ。
2015年
7月
01日
水
「カミキリ虫は害虫だよね?」
「葉っぱ食べちゃうし、木も枯らしちゃうし。」
そんな家族の会話が聞こえる。しばらくすると、
義理の母が申し訳なさそうに話しかけてきた。
「正機さん、むし に触れる?」
どうやらベランダの植木についたカミキリ虫を
みんな触れないらしい。
「むし が悪さしてるから、捕まえて。」
と、またもや 申し訳なさそげに 嘆願された。
僕は小さいころから むし は大好きだ。
といっても、
毛虫に触るのは抵抗あるけれど・・・
特にカミキリは大好きだ。
少しワクワクして ベランダへ出る。
(おっ、ゴマダラだ。久しぶりだ・・)
持ち上げると、敵意丸出しの
キーキーと鳴き声。
( おまえはこんなにかわいいけど、
皆から 害虫の烙印が押されてる!
残念ながら・・・
ベランダからは 強制退去です !)
(へたすりゃ〜 木一本ダメにしちゃうからな、
害虫って言われるかあ・・)
例えば、“ ナナホシテントウは 益虫 ”
“ ニジュウヤホシテントウは 害虫 ”
って言われているけれど・・・
前者は 肉食 で アブラムシ を食べ益虫、
後者は 草食 で人間と同じ野菜を食べるから
害虫と言われてしまう。
(何か、人間の都合すぎるんだよなぁ)
そうそう
捕まえた ゴマダラカミキリ は、
娘と一緒に 近くの公園の
一番大きな木 に放してみたんだ。
放した瞬間から木の上へ上へ・・
いつの間にか僕も娘も 見失った。
2015年
6月
28日
日
一年に一度あるか、ないか、
身体の記憶に刻まれているような
心の奥底にある風景に出会う。
こんな風景だ。
去年の今頃・・
瀬戸内市立美術館近く
展覧会イベントの参加した後、
もう日が暮れそうだったが、
何かに出会える予感がして
牛窓港近くの高台、小さなお寺に登ってみた。
夕日の海を見下ろすと
小さな島行きのフェリーが
オレンジ色の海原を渡っている。
( あの連絡船、島に帰るんだなあ )
太陽はあと10回のまばたきで・・
沈みそうだった。
2015年
6月
24日
水
両口屋さんの夏菓子、
“水羊羹”と“あまづと”がリニューアル。
それに従い、パッケージも
新しくデザインしました。
水羊羹か・・
“みずようかん” は言葉の 響きがいい。
透き通った黒いグラデーションもいい。
そして、
梅雨の蒸し蒸し してて
ちょっと元気がでない今の時期が一番美味い。
食べた後の熱い緑茶と組み合わせもいい。
冷たい麦茶では、この満足感はないな〜。
あんまり猛暑時期になっちゃうと
冷たけりゃ何でも・・ほいほい
ジュース、麦茶、氷、アイス 、
ってなっちゃうからね。
最たるは、ビールだけど・・
夏の和菓子は繊細な味。
だから、やっぱり今がいい。
2015年
6月
21日
日
ソフトボール、社交ダンス、詩吟、油絵
亡き父は、いろんなものに手を出した。
なかなか、長続きしない。
それでも、クルマや家のメンテナンスや
盆栽、野菜つくりは まめだったから、
文句は無いんだけれど・・
でも、父さん !
その飽きっぽさが
息子の画家になった一因とは知るまい。
あなたの放置した紫陽花の油絵、
興味本位で絵の具を重ねたことが
始まりなんですよ。
フフフ・・
今日は父の日、
父さんありがとう。
2015年
6月
17日
水
昔のような、最新のような、未来のような
不思議な街・・・銀座。
そんな事を思いながら
銀座四丁目交差点を渡る。
ネクタイを締めたサラリーマン、アロハのおじさん
Tシャツの外人、制服のOL、着物のママさん。
足早に歩くいろんな人で溢れている。
そして、最近は特に外国人でいっぱいだ。
銀座は。引かない波のような凄いエネルギー。
学生時代、訪れたのは一、二回ぐらい。
しかし、絵を生業にしていると、
かなり親しくなった。
でも・・
何度行っても銀座は違う顔を見せ
僕は“フワ フワ ” してしまう。
2015年
6月
14日
日
さて・・御題は『 野菜 』
出題者 松岡 歩 氏
今年は、
ある意味 “ シュール ” な 御題ですねえ・・
2番目に思いついたイメージを
作品にしましたよ。
他、2点の展示と共に、
第二回 風待の会は 明日、
六月十五日( 月 )からです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
2015年
6月
11日
木
静かな店内に柱時計の振り子の音が
控えめに流れる。
伊豆に1泊旅行した時だった。
何気なく古道具屋さんに入ってみた。
お店にはお客さんどころか
店員さんもいない。
カッチ、カッチ、カッチ
その音が心地よくて、心地よくて、形はシンプル
そして落ち着いた色の柱時計だった。
(これ、ほしいなあ)
そんな風に強く思ったけれど、その当時
お金も、飾り場所も無く、すぐにあきらめた。
うらめしそうに、少し大きめの店看板を見ると
そこには “風待工房” と書いてあった。
( “風待” か。いい 名前 だなぁ・・)
それから二十二年、
遠い記憶がグループ展の名前になるなんてね。
来週月曜日から銀座の ギャラリー和田 で
第二回風待の会 が始まります。
ご高覧よろしくお願いします。
2015年
6月
07日
日
日本画制作に限らないが・・・
急いでも一足跳びに完成しない。
とにかく、日々を地道に
手作業を積んでいく。
野菜を育てると同じ。
地ならしして、
種を蒔いて、
水をやり、
見守りながら、
育てる。
先に進みたければ
僕のような要領の悪いもんは
とにかく、日々を積む。
時間は限られているが・・・
2015年
6月
02日
火
「いや〜本が好きだから、まいったなぁ。今は主にラジオだな。」
先週、高校時代の恩師の先生に会った。
わざわざ、アトリエを訪問して下さったのだ。
近年、病気で視力障害となり、介助の息子さんと一緒だった。
息子さんとは、絶妙なコンビで先生の表情はいつも柔らか。
「今は、図書館の雑誌も音声になってんのも あんだよ。」
過酷な現実があったに違いない。
無理をし過ぎず、少しずつ受け止めながら
プラスの方向へ自身を導いてくその姿は
僕にとって、今も 先生そのもの だった。
(いくつになっても、かなわないなあ・・)
そんな風に思いながら、帰りのタクシーを見送ると
真っ白な髪になった先生はやっぱり笑顔だった。
2015年
5月
28日
木
昨日は東京美術倶楽部でギャラリートークの司会。
“日本画のこれから”というお題でのトーク。
僕が1番年上で、ちょうど10歳ずつ違う三人の日本画家。
世代の違いで、感じている違いが表出するって
思った。けれど、それ以上に思想の違いが
面白く感じてとっても良かった。
特に後半は、空気も柔らかくなって
興味深い話も・・いくつか。
最近、年下の作家との対談とか、紹介の文章とかが
とても多くなった。それ自体は大歓迎。
だけど僕も誰かに色々質問されてみたいなぁ〜
とふと思いながら東京を後にした。