2015年
12月
15日
火
僕はこの匂いに囲まれながら
遠くなる意識をギリギリで保っていた。
12月の金曜日夜、
11時過ぎだと言うのに電車はギュウギュウ。
(まあ・・自分含めて酒くさい)
サラリーマン同士が聞かれちゃいけない
ような話を大きな声で・・・
体育会系ぽい大学生が
気分の悪い友達を三人がかりで・・
男らしい女上司が
ひ弱そうな部下の男にダメ出し・・
室内犬のような髪型のカップルが熱くハグ・・
ほんの少し大胆で賑やか・・
酒臭い夜電車が走る。
2015年
12月
06日
日
(これは・・素晴らしい)
そんな絵に出会った。
巨匠の絵でも無い。
昔の人の絵でも無い。
学生の絵だ。
それは・・大学の講評会、
僕は感想を述べる立場だったが・・・
斬新でもなく、
真新しくもない。
そんな絵に感動した。
2015年
12月
02日
水
最近は飲み会が多くて、なかなかのもんだ。
でも、僕自身はめっぽう弱くなってしまった。
特にいろんな種類のお酒を飲むと
どうやら次の日に残ってしまう。
少しお酒で頭が痛い今朝、
ラジオからこんなことが聞こえてきた。
“日本製品はオーバークオリティなんです。
これ以上技術が進んでいっても消費者はついていけない。
それより安さをほとんどの人は選択するんです。
これが世界スタンダード・・・・・うんたらかんたら”
言っている内容はどこかで耳にしたことがあるような内容。
(オーバークオリティ・・?)
この造語に少し心がザワザワした。
(容赦無い造語だな・・)
これ以上の技術はもう無駄と言う意味だ。
(客観的な考えではあるけど・・
何か 愛情が足り無い・・)
そんな事を聞きながらブツブツ言っていたら
いつの間にか、二日酔い頭痛が治った。
明日より二日間、山形にある東北芸術工科大の授業。
ちょっと“ オーバークオリティの事 ”も
話してみよっと・・・
2015年
11月
29日
日
久しぶりに上野駅から新幹線に。
東北新幹線が東京まで開通すると、
ほとんど利用しなくなってしまった。
あんなに利用していたのに・・
閑散とした上野駅は、じっくり見ると
びっくりするほどの地下施設だ。
ホームは地下何階? 三階、 四階、
いや深さは地下五階 以上もありそう・・
お腹が緩かったから、
ホームより一つ上の階のトイレへ、
小走りしていると・・コツコツと自分の足音のみ
人の気配があんまりしない。
(まるで地下シェルターのよう)
トイレの中はゴーという換気の音しか聞こえず。
用を足しながら、緩いお腹をさすっていた。
(今回、福島に帰るといろいろな人に会うん だよなぁ)
二十人ぐらいの方々に会う予定。
その中で、中学校の同級生達とも30年ぶりに。
実は少し不安。
なぜなら、僕は “ かなり つまらない中学生 ”
だったからである。
自分でそう思うぐらいだから、
同級生から見ると なんとやら・・
生真面目で 弾けることができない中学時代。
ガリ勉だったけど要領が悪くて
思ったより成績が伸びなかった。
中学の同級生はそんな僕に
少し大人の感性を(多少強引に?)
注入してくれたのだ。
音楽、映画、漫画、
すごい勢いで引き込んでくれた。
今から思えと、すごい感謝、感謝。
(お前はつまんない人間だったなぁ)
多分、会ったら みんなに言われるだろう。
そのぐらいは 覚悟しなくちゃ・・
年月は、
そんな 僕を 何故か絵描きに。
神のイタズラか・・人生は不思議。
2015年
11月
17日
火
明日から、東京、福島、箱根
それぞれの 仕事 & 取材 に・・
帰るのは25日の夜中だから
八日間、アトリエより離れる。
今年は今のところ、暖かな秋、
でも名古屋に帰ってくる頃は
イチョウの黄色が鮮やかだろうね。
さて・・
まだ先ですが、
11月23日 勤労感謝の日 には、
成川美術館にてサイン会があります。
どうぞ、よろしくお願いします。
齋 正機
2015年
11月
15日
日
何となくぼんやりしていたら、
さっき、外出したばかりの妻が戻ってきた。
「ねえ、自転車のところまで、来てくれる・・」
「えっ、どうして?」
「とにかく来てほしい・・かまきりが・・。」
「すぐ。行く。」
僕は子どもの頃、かまきりを捕まえるチャンピオン。
(そんなタイトルがあるわけじゃないけど)
あのシャープなボディーと葉っぱによく似た緑色は、
澄み切った秋空によく似合う。
「弱ってるじゃん。これがこわいの?」
「こわいんじゃないんだけど、挟まれそうで。」
得意げに持ち上げると・・弱っているのに
僕の人差指を思いっきり挟んだ。
「イテテテ、強い!」
「大丈夫?」
痛さを我慢して自転車置場から、
緑がありそうな方へ移動・・一件落着。
(かまきり・・もう羽根先が茶色だったなあ)
ジンジンする人差し指をよそに
そろそろ晩秋を感じる。
2015年
11月
11日
水
「 もしも絵をやってたら、おまえよりうまいと思うぞ。」
父は酒に酔うと、赤ら顔でそう言ってからかってきた。
「俺はなぁ、機関車のナンバーを白ペンキで書いてたんだ。
それをいっぱいの人から褒められでだんだぞ。
んだがら、絵描いでも俺の方が絶対うまい」
負けず嫌いの父は、そう言って何度も頷いた。
そんな事を言われたことは一度や二度ではない。
昭和二十年の終戦間近、父は15歳、
見習いとして福島機関区で手伝いをしていた。
ほとんど力仕事だったらしいが、父にはもう一つ、
白ペンキで機関車のナンバーを書くことが任されていた。
その書いた文字は、D51 488、
通称デゴイチ・ヨンパーパーと呼ばれた蒸気機関車である。
戦争による金属不足で国に没収されたナンバープレート代わりに
直に白ペンキで書くのだ。
「おまえは、本当に番号書くのうめえなぁ」
大人の機関士達に褒められていたらしい。
その事は相当嬉しかったに違いない。父親を小さい頃に亡くして、
大人に褒められたことなどなかったのだから・・・。
そして、それは運命的言葉になった。
終戦後、学校を卒業していろいろと働きながら、
昭和二十六年念願の国鉄に就職。長年の機関助手を経て、
僕の生まれる頃に正式な機関士になるのである。
僕の名前は〝正機〞。それは父の名前〝正義〞の〝正〞と、
〝機関車〞の〝機〞である。
(月刊美術二〇〇九年八月号掲載文章)
〜M氏ノ運転シタ風景ノ記憶 ⑥ より〜
2015年
11月
08日
日
約十年前、帰省時の出来事だ。
「お父さん、月に二回は 新庄 で運転してだんだよ。」
と何気無く言った母の言葉に・・
(明日、行ってみようかな)
と普段は重い腰の自分が思った。
(新庄か・・・)
お隣の山形県にあるといっても、
新庄となると、福島から山形新幹線で二時間。
東京まで一時間三十分の ご時世 からは結構遠く感じる。
次の日、新幹線を使わないで
約四時間掛けて、新庄駅にたどり着く。
乗り疲れた身体で辺りを見渡すと・・
まるで待っていたかのように、それはあった。
父も携わったであろう・・
レンガ色の 年季の入った機関庫。
(屋根の上に煙出しがあるから蒸気機関車の頃から?)
調べると、明治36年に作られ今も現役。
何度も何度も補修され、塗り直されて大事にされている。
(来て、良かったなあ・・)
時代を乗り越えて来た 佇まいに、少し胸が一杯になった。
2015年
11月
04日
水
一言でいうと、人好き,お酒が好きで陽気な人。
昭和五年 福島市上野寺 生まれ、三人兄弟の次男。
170cm の その身長は、胸板が厚いせいか大柄にみえる。
そのことは兄より僕が受けついでいる。
そして、父は国鉄の機関士だった。
父が小学校低学年のころ、祖父が肺病で亡くなる。
そんな事もあり・・高校には行けなかった。
終戦の年15歳から郡山機関区で働き・・
一時期、鉄道から離れたらしいが、
昭和24年の国鉄発足、その二年後に
正式な国鉄職員になる事が出来た。
それからは、機関士の道 一直線 だった。
30年以上、現役の機関士を通し、
国鉄最後の一年前に退職。
根っからの機関士だった。
頑固で、謝る事が大嫌い。
しかし誰にでも声を掛ける人懐っこい父。
口癖は、
「正機は・・これがら・・どうすんだ?」
画家として目が出ない僕をいつも心配していた。
亡くなって十三回忌も過ぎた今、
僕が鉄道を描いているのを見たら
かなり驚くだろうな。
2015年
10月
31日
土
もう十年以上前・・
何気なく、鎌倉の骨董屋さんに
冷やかしで入った。
記憶だと、横須賀線の線路近くだったような・・
(僕を連れてってみない・・)
薄暗い、そして埃っぽい店内で目と目があう。
滅多に衝動買いしないけれど、
名古屋に帰る新幹線は一緒に。
不思議なもんで、
アトリエに連れて帰ると顔が違う。
(えっ、間違えた?)
そんなはずは無い。目の前で包んでいた。
(かなり〜変わったような・・自分に似てきたような)
とりあえず、気にしないように努力。
そして、何日か置いておくうちに一つの結論に至る。
(これは鎌倉の開放感、薄暗い店のせいだね)
腑に落ちないながらも決着。
でも・・本当に
顔が変わってたりして。
まあ、それでもいっか・・
2015年
10月
25日
日
最近、天気がいい調子だ。
晴天続き。そして気温も快適。
窓辺で暖かいと頭が ぼ~ としてくる。
「まさき、ぼけッとしてんなよ」
よく父に言われていた言葉だ。
子供の頃・・
僕は二重で 目は大きい方、
ただ、滅多に目を大きく見開かない。
そして、鼻が悪く いつも口呼吸。
半開きの目、口が空いている、
忘れ物も多くって、要領も悪いもんだから
父は心配でしょうがなかった。
いつも“ぼけっ ”として、
見えたんだろうなあ・・
2015年
10月
21日
水
こんな夢をみた。
何故か・・ポルシェを運転している。
(そうか、空冷式エンジンっていうのはやっぱり冷たいんだ)
そんな風に思いながら、外の空気を入れるため
オープンカーにする。
外は真夜中で静か、コオロギの鳴き声。
(よし、急ごう)
そう思って、アクセルを目一杯に踏んでも、
歩いている人のスピードに負けてしまう。
(ん〜ポルシェも、人には かなわないのかあ・・)
納得しながらトボトボ走る。
でも、そんな歩くよりも遅いポルシェで
粘り強く走ると・・
やっと、究極の喫茶店に到着。
しーんとした夜の雰囲気に
思った以上にお客が多い喫茶店だ。
(これは〜待たされるぞ)
少しうんざりしながら、店を見渡すと
昔働いていた、予備校時代の同僚がいる。
(やっぱりコーヒー好きなんだあ)
私語厳禁のお店だから、目で挨拶をして
一番手前の椅子に座る。
いきなり、テーブルに透明な瓶が運ばれてきた。
「このドングリを一個一個取って下さい。」
とマスターから言われた。
聞こえるか聞こえないかの細い声だ。
(そうか〜 究極のコーヒーは・・ドングリだったんだ)
目からウロコが落ちた。
(そうだ。なんでも決めつけちゃいけないんだ。)
そう思い一生懸命、ドングリを細い口から
取り出そうとする。 でも、もうちょっとだけど
出そうで出ず。
(困るなあ・・どうやったら・・よしビンの口に石鹸を・・)
こんな夢を秋の夜長に見た。
2015年
10月
18日
日
(青いみかん・・)
だいぶ黄色く色付いて来ていたけど
(そういえば、この時期だなあ・・)
秋の遠足のバスの中で 投げ渡されたり、
町内の運動会のお弁当の端にあったり、
集会とかで一人一人に配られたり、
清々しい秋空の日に結びついてたりして、
(久しぶりだけど、案外あまい)
子供の頃は、それなりに酸っぱかった。
最近の傾向かもしれないが、想像より口に優しい。
まじまじ見ていると、
近所の床屋のおばちゃんの甲高い声と
遠足バスでみかんを投げてきた直ちゃん
の記憶が蘇ってきた。
(あ〜 青いみかん・・)
2015年
10月
14日
水
12日は・・
偶然、初冠雪の日でしたね。
(正確には前日の夜だけど)
朝から快晴、最高の天気。
いつもより念入りに シャツの襟を整えて、
慣れないサイン会にのぞみましたよ。
ファンの方、同級生、先生、
観光のお客さん、外人さん・・
おかげさまで、
画家冥利に尽きる時間が
夢のように過ぎていきました。
嬉しくて、楽しくて、ありがたくて・・
来てくださった皆さんに感謝いたします。
齋 正機
2015年
10月
11日
日
晴れて、展望室から富士山が
観えると、いいのですが・・
成川美術館がある元箱根は
予報では“晴れ”。
明日、10月12日体育の日は
美術館でサイン会があります。
どうぞ、よろしくお願いします。
齋 正機
2015年
10月
07日
水
「ん〜、普通のリンドウとやっぱり違うよねえ。」
と言いながら、奥さんがご機嫌で花瓶に生ける。
(人を惹きつける・・すごい群青・・)
何とも心が揺さぶられる色である。
会津只見 から 今年も
素晴らしいリンドウが届いた。
高地の紫外線と厳しい低温が
この“ 冴え群青色 ”を造ったという。
(う〜ん・・神業 )
《お知らせ》
銀座、日動画廊にてグループ展が始まっています。
作品一点を出品しています。
平成27年9月25日(金)~10月12日(月・祝)
10:00~19:00 ※日曜休廊
土曜日・祝日 11:00~18:00
2015年
10月
04日
日
(一年に何日あるかの 爽朝 だ)
そして
アトリエヘ歩く途中で
歩道交差点の垣根の花に
アオジアゲハが飛んでいる。
信号が青に変わるまでの1分ぐらいを
共に過ごす。
2015年
9月
30日
水
(芦ノ湖に海賊船?)
四年前、最初見たときは、びっくりした。
そりゃそうだ。芦ノ湖といえば、
黒田清輝の「湖畔」が有名。
そう、浴衣でうちわ女性・・あの教科書の絵。
厳か、静か、純日本的というイメージの芦ノ湖。
芦ノ湖に海賊船なんて・・
そんな事を考えながら
四年ぶりの展覧会の今年、
富士山と湖が見下ろせる美術館の展望室で
ボ〜としていると、
(富士山の見えるこの湖には、
煌びやかな 海賊船 が合うかもしれない)
そんな風に 少〜し思った。
そんなわけで丸一日、
美術館で海賊船を気にしてみた。
午前中、晴れていたから、
元箱根から見る芦ノ湖はブルーが冴えている。
富士山も絶好調、船の鮮やかさが丁度いい。
お昼頃、湖は少しパステル調に 穏やか。
海賊船の やんちゃなシルエット がユニーク。
午後二時ぐらいは様々な色の乗客のリラックスが
嬉しそうに見えたりして。
夕方近く、芦ノ湖に哀愁が漂う。
少し影掛かった雰囲気に船の背中もまた
一日の終わりの哀愁・・。
(すごい 、いーじゃん。
なるほど長い年月で、箱根に馴染んでる)
海賊船は 1960年代に
アメリカのディズニーランドを見て
思いついたそうだ。
今は、緑のバーサ号、赤と白のロワイヤル号、
オレンジのビクトリー号の3隻が運行。
想像以上に滑らかで スピーディー。
何にも起きない 世界一 平和な海賊船たち。
2015年
9月
27日
日
悪い予感はしていたけど・・
子供の頃から 忘れ物 が多い僕だから、
たとえ大きな荷物でも、置き忘れは“お手のもの” だ。
(随分、バス遅れてるなぁ…)
かなり焦っていた。
(いろんな人を待たせてるだろうなぁ…)
今日は箱根 芦ノ湖 成川美術館 でサイン会がある日。
朝から緊張していた事もあるけれど、
持ったことがない荷物 もあったため
あんまり“ぼーっ”としてはいけない。
なぜなら…僕はあまりに忘れ物が
多い・の・で・・
(美術館まで、もうすぐなのにバスが進まない)
気持ちが焦る。焦る。
突然、携帯が細かく揺れている。
メールを開いて確認。
(仕事のメールだ。ああ、あのことの返事忘れてた)
頭がそっちに引っ張られていく。
“忘れ物をする条件” が 整ってしまった。
僕は当然、片方の荷物をバスに置いて、
元箱根港バス停で降りる。
成川美術館の玄関へ向かう坂道・・
「あ゛〜」
あ・と・の・ま・つ・り
ご心配をお掛けしたみなさん、
ご迷惑をお掛けしたみなさん、
ごめんなさい。
おかげ さまで 荷物 も無事出てきました。
本当にありがとうございました。
2015年
9月
20日
日
プシュー
新幹線のドアが開いた。
箱根の芦ノ湖、成川美術館に行くため
JR小田原駅に降りる。
美術館は 元箱根港 にある。
小田原駅前からバスで 元箱根港バス停 まで
乗ってしまえば、約50分 で行けるのだが・・
僕は、小田急線に乗り換えるのだ。
箱根板橋、風祭、入生田、
そして四つ目の 終点・・・箱根湯本駅。
(箱根登山鉄道は乗り換え、強羅が終点)
箱根湯本発のバスは、たくさん あるからね。
箱根湯本は箱根の玄関、
昭和の匂いが残った温泉街である。
(心地イイなあ・・)と思いながら
大きいバス乗り場へ・・
箱根のいろんな場所行きがある。
元箱根港行きもたくさん・・
箱根登山バス、西武バス、伊豆箱根バス
どれも、渋滞がなければ
元箱根港へ 約30分 で着く。
バスに乗ると、まず感じたのは
(四年前より外人が増えたなあ)
2011年の第一回目の個展 では全くだったのに・・
箱根湯本の温泉街を抜ける。
バスのエンジンの頑張り音が
お腹に響く。
登るカーブで左に引っ張られ、右に引っ張られ
どんどん登って・・
大きなホテルのある 宮ノ下、
いろんなプールのある ユネッサン、
古くからある ホテル小涌園 を通り過ぎ、
いつの間にか山深くなっていた。
2015年
9月
13日
日
今週、水曜日から
いよいよ展覧会が始まります。
齋 正機展~帰り道シリーズ~
平成27年9月16日(水)~12月15日(火)
9:00~17:00 年中無休
大作から小作品まで約30点の展示です。
お時間ございましたらご高覧下さいますよう
よろしくお願い致します。
作家来場日
9月22日(火・祝)
10月12日(月・祝)
11月23日(月・祝)
神奈川県足柄下郡箱根町元箱根570
tel:0460-83-6828
入場料:大人1300円/大高生900円/小中生600円
ちらしはHPニュースをご覧下さい。